第1部 なぜ今、自給自足サバイバルなのか
第3章 自給自足は終末思想ではなく人生の保険である
― 不安を煽るためではなく、暮らしの自由度を高めるために
「自給自足」と聞くと、少し極端な印象を持つ人もいるかもしれません。
山奥に移住する。
電気もガスも使わない。
社会から離れて暮らす。
すべてを自分で作る。
お金に頼らない。
世の中の終わりに備える。
そんなイメージです。
たしかに、自給自足という言葉には、どこか終末思想のような響きがあります。食糧危機、戦争、経済崩壊、災害、エネルギー不足。そうした不安と結びついて語られることも多いです。
しかし、本来の自給自足は、決して恐怖に支配された生き方ではありません。
むしろ、自給自足とは、人生の保険です。
すべてを自分でまかなうという意味ではありません。
社会から完全に離れるという意味でもありません。
文明を否定することでもありません。
自給自足とは、暮らしの一部を自分の手に取り戻すことです。
食べ物の一部を自分で作る。
水や燃料や電気の使い方を見直す。
保存食を持つ。
道具を使えるようになる。
地域の農家や仲間とつながる。
お金だけに依存しない生活力を育てる。
それは、不安な未来に怯えるためではなく、何が起きても落ち着いて生きるための知恵です。
保険というものは、何か悪いことが起きると決めつけて入るものではありません。事故や病気が起きないことを願いながら、それでも万が一に備えておくものです。
自給自足も同じです。
食糧危機が起きると決めつける必要はありません。
社会が崩壊すると信じ込む必要もありません。
ただ、人生には予想外のことが起こります。
災害が起こる。
物価が上がる。
収入が減る。
物流が乱れる。
病気で働けなくなる。
家族構成が変わる。
世界情勢が不安定になる。
そうした時に、少しでも自分で食べ物を作れる力、備える力、暮らしを小さく回す力があれば、人生の安心感は大きく変わります。
この章では、自給自足を「終末思想」ではなく、「人生の保険」として捉え直していきます。
自給自足は「全部やること」ではない
まず最初に大切なのは、自給自足を完璧主義で考えないことです。
自給自足というと、米も野菜も肉も卵も味噌も醤油も燃料も電気も、すべて自分でまかなわなければいけないように思うかもしれません。
しかし、それは現実的ではありません。
現代社会で完全な自給自足を一人で行うのは、非常に難しいことです。田んぼを持ち、畑を持ち、山を持ち、井戸を持ち、家畜を飼い、保存食を作り、燃料を確保し、道具を修理し、衣服まで作る。これは相当な土地、技術、体力、時間、人手が必要です。
ましてや、仕事をしながら、家事をしながら、子育てや介護をしながら、すべてを自給するのは簡単ではありません。
だから、最初から完全自給を目指す必要はありません。
大切なのは、暮らしの中に「少しでも自分でまかなえる部分」を増やすことです。
たとえば、野菜を一種類だけ育てる。
ベランダでミニトマトを育てる。
庭にネギやニラを植える。
米を少し多めに備蓄する。
味噌や塩を切らさない。
乾物や缶詰を常備する。
梅干しや漬物を作ってみる。
雨水をためる。
停電時に使える調理器具を用意する。
これだけでも、立派な自給自足の第一歩です。
自給自足とは、ゼロか百かではありません。
一%でも自分で作れれば、その分だけ外部への依存は減ります。
一週間分の食料備蓄があれば、その分だけ災害時の不安は減ります。
一品でも自分で保存食を作れれば、その分だけ暮らしの知恵が増えます。
完全自給ではなく、部分自給。
孤立ではなく、分散。
根性論ではなく、生活の保険。
この考え方が大切です。
自給自足を難しく考えすぎると、始める前に疲れてしまいます。けれど、小さく始めれば、誰にでもできます。
まずは一鉢の野菜からでもいいのです。
まずは米を一袋多く置くことからでもいいのです。
まずは味噌汁を自分で作ることからでもいいのです。
自給自足は、特別な人だけのものではありません。
暮らしを少し強くしたいすべての人のための知恵なのです。
「買う力」だけに頼る暮らしは不安定である
現代社会では、多くの人が「必要なものは買えばいい」と考えています。
食べ物も買う。
水も買う。
電気も契約する。
ガスも契約する。
服も買う。
道具も買う。
サービスも買う。
もちろん、お金で必要なものを手に入れられる社会は便利です。分業によって、それぞれの専門家が作ったものを交換できるからこそ、私たちは豊かな暮らしをしています。
しかし、買う力だけに頼った暮らしには弱点があります。
収入が減れば、買えるものが減ります。
物価が上がれば、同じお金で買える量が減ります。
店に商品がなければ、買いたくても買えません。
物流が止まれば、買う場所に食料が届きません。
災害時には、お金を持っていても品物がないことがあります。
つまり、お金は大切ですが、お金だけでは命を守れない場面があるのです。
食べ物は特にそうです。
普段はスーパーに行けば買えます。しかし、災害が起きた時、物流が止まった時、物価が急上昇した時、輸入が不安定になった時、買う力だけに依存していると一気に不安になります。
その時、自分で少しでも食べ物を作れる人は強いです。
家庭に備蓄がある人は強いです。
保存食の知恵がある人は強いです。
地域に農家とのつながりがある人は強いです。
それは、金額に換算しにくい生活力です。
たとえば、庭にネギがあるだけでも違います。
プランターに青じそがあるだけでも違います。
米と味噌と乾物があるだけでも違います。
簡単な調理道具があるだけでも違います。
大きな畑を持っていなくても、暮らしの中に少しでも「買わなくても何とかなる部分」があると、心に余裕が生まれます。
自給自足とは、お金を否定することではありません。
お金だけに頼る暮らしを、少しだけ補強することです。
お金で買う力。
自分で作る力。
保存する力。
直す力。
分け合う力。
この複数の力を持つことで、暮らしは強くなります。
一つの柱だけで支える家は、揺れに弱い。
しかし、柱が何本もあれば、少々の揺れには耐えられます。
自給自足は、暮らしの柱を増やすことなのです。
自給自足は「自由」を増やす
自給自足の本当の価値は、安心だけではありません。
自由が増えることです。
食べ物を少しでも自分で作れるようになると、買い物への依存が減ります。保存食を持っていれば、毎日スーパーに行かなくてもよくなります。家庭菜園があれば、必要な時に必要な分だけ収穫できます。
これは小さな自由です。
たとえば、料理をしていて薬味がほしい時、庭からネギを少し取ってくる。
夏に青じそを摘んで、冷ややっこにのせる。
ミニトマトを子どもがその場で食べる。
保存しておいた干し野菜を味噌汁に入れる。
備蓄していた米で、買い物に行けない日を乗り切る。
こうした小さな場面に、暮らしの自由があります。
自分で作った食べ物は、ただの食材ではありません。
時間と手間と自然の恵みが詰まったものです。
そこには、買ったものにはない喜びがあります。
そして、自分で作る経験をすると、食べ物に対する見方が変わります。
野菜一つ育てるにも、どれだけ手間がかかるか分かる。
天候の影響を実感する。
虫や病気との付き合いを知る。
土の大切さが分かる。
農家の苦労が想像できる。
食べ物を無駄にしなくなる。
これは、消費者から生活者へ戻る感覚です。
何でも買える時代、人は便利になる一方で、自分の手で何かを生み出す感覚を失いやすくなります。食べ物を作ることは、その感覚を取り戻す行為です。
自給自足は、社会から逃げることではありません。
自分の暮らしを、自分の手に少し戻すことです。
それは精神的な自由でもあります。
「最悪、少しは自分で何とかできる」
この感覚は、人を強くします。
すべてを外部に依存している時、人は社会の変化に振り回されます。価格が上がれば不安になり、商品が消えれば焦り、ニュースに怯えます。
しかし、少しでも自分で作る力があると、慌て方が変わります。完全に不安が消えるわけではありません。それでも、心の中に土台ができます。
自由とは、何でも好き勝手にできることだけではありません。
いざという時に、選択肢を持っていることです。
自給自足は、人生の選択肢を増やしてくれます。
自給自足は健康の保険でもある
自給自足は、食料危機への備えであると同時に、健康への保険でもあります。
自分で野菜を育てると、自然と季節のものを食べるようになります。旬の野菜は、その季節の体に合っています。夏には水分の多い野菜、冬には体を温める根菜類。自然は、実によくできています。
また、自分で作ると、食べ物への関心が高まります。
何を食べるか。
どのように育てられたか。
どれだけ新鮮か。
どんな調味料を使うか。
加工されすぎていないか。
こうしたことを考えるようになります。
現代の食生活では、便利な加工食品が増えています。忙しい時には助かりますが、塩分、糖分、脂質、添加物、カロリーの摂りすぎにつながることもあります。
一方、米、味噌、野菜、豆、芋、乾物、海藻、魚などを中心にした食卓は、地味ですが体を支えます。自給自足的な暮らしは、自然とこうした基本の食事に戻りやすくなります。
さらに、作物を育てること自体が健康につながります。
土に触れる。
太陽を浴びる。
体を動かす。
季節を感じる。
植物の成長を見る。
収穫の喜びを味わう。
これは、心身にとって大きな効果があります。
農作業は、単なる労働ではありません。自然と呼吸を合わせる行為です。土を触っていると、不思議と気持ちが落ち着きます。芽が出ると嬉しくなり、花が咲くと希望を感じ、実がなると命の循環を実感します。
もちろん、農作業は楽なことばかりではありません。暑い日も寒い日もあります。虫も出ます。失敗もあります。思ったように育たないこともあります。
それでも、自分の体を使って食べ物を作るという経験は、人間の根本的な感覚を取り戻させてくれます。
現代人は、頭を使いすぎ、画面を見すぎ、情報にさらされすぎています。そんな時代だからこそ、土に触れる時間は大切です。
自給自足は、食べ物の保険であると同時に、体と心の保険でもあります。
薬やサプリだけでは補えないものがあります。
それは、自然とつながって生きているという実感です。
自給自足は家計の保険にもなる
物価高の時代、自給自足は家計を守る力にもなります。
もちろん、家庭菜園を始めたからといって、すぐに大きな節約になるわけではありません。道具や土、苗、肥料、支柱などを買えば、最初はむしろお金がかかることもあります。
しかし、長い目で見れば、自分で作れるものが増えるほど、家計の助けになります。
特に効果が大きいのは、よく使う野菜です。
ネギ。
ニラ。
青じそ。
バジル。
ミニトマト。
きゅうり。
なす。
ピーマン。
小松菜。
ほうれん草。
じゃがいも。
さつまいも。
こうした野菜を少しでも育てられると、買い物の回数や出費を減らせます。
特に薬味や葉物は、少し使いたいだけなのに買うと意外と高いものです。庭やプランターにあれば、必要な分だけ収穫できます。これは実に便利です。
また、自給自足の家計効果は、単純な節約だけではありません。
食材を無駄にしなくなる。
旬のものを食べるようになる。
加工食品への依存が減る。
外食を減らせる。
保存食を活用できる。
まとめ買いと備蓄が上手になる。
こうした暮らし方の変化が、家計を安定させます。
たとえば、米を中心にした食生活は強いです。米は保存がきき、腹持ちがよく、味噌汁や漬物、野菜のおかずと組み合わせれば、栄養のある食事になります。
パンや加工食品、外食に頼りすぎると、物価高の影響を受けやすくなります。しかし、米、味噌、野菜、乾物、豆、芋などを中心にすれば、比較的安定した食生活ができます。
自給自足的な暮らしは、「高いものを買わない生活」ではありません。
「基本の食材で豊かに食べる知恵」です。
そしてその知恵は、家計が苦しい時ほど力を発揮します。
お金がある時には便利なものを買えばいい。
しかし、お金が厳しい時にも食べていける基礎力を持つ。
これが人生の保険としての自給自足です。
自給自足は災害への保険である
日本は災害の多い国です。
地震、台風、豪雨、洪水、土砂災害、大雪、停電、断水。どの地域に住んでいても、何らかの災害リスクがあります。
災害時に最も大切になるのは、水、食料、燃料、情報、衛生です。
この中で、食料の備えは家庭でできる重要な対策です。
自給自足的な暮らしをしている人は、自然と災害への備えが強くなります。
米を多めに持っている。
乾物がある。
缶詰がある。
味噌や塩がある。
畑に野菜がある。
水をためる習慣がある。
カセットコンロや簡易調理器具がある。
保存食を作る知恵がある。
これらは、災害時に大きな安心になります。
災害が起きると、店から水やカップ麺、米、パン、電池などが一気に消えることがあります。多くの人が同時に買いに走るためです。
しかし、普段から備えている人は慌てる必要がありません。買い占めに参加しなくて済みます。それは自分のためだけでなく、周囲の人のためにもなります。
備えている人が増えれば、災害時の混乱は減ります。
自給自足は、個人の防災であると同時に、社会全体の防災でもあります。
さらに、畑や庭があることは災害時に強みになります。すぐに大量の食料を得られるわけではありませんが、葉物、芋、ネギ、ハーブなどがあれば、食事の質を保つ助けになります。
食料備蓄と家庭菜園は、別々のものではありません。
備蓄は短期の保険。
栽培は中長期の保険。
この二つを組み合わせることで、暮らしの安全度は高まります。
災害は起きないに越したことはありません。
しかし、起きた時に「何もない」のと「少しはある」のでは、心の余裕がまったく違います。
自給自足は、その「少しはある」を積み重ねる暮らしです。
自給自足は地域とのつながりを生む
自給自足という言葉には、一人で何でもやるイメージがあります。
しかし、本当に強い自給自足は、孤立ではありません。
むしろ、地域とのつながりを深めるものです。
一人でできることには限界があります。
米を作る人。
野菜を作る人。
果物を作る人。
卵を育てる人。
味噌を作る人。
薪を扱う人。
井戸や水に詳しい人。
機械を直せる人。
大工仕事ができる人。
保存食に詳しい人。
地域には、さまざまな力を持った人がいます。
自給自足とは、それらを全部自分一人で抱え込むことではありません。地域の中で互いに補い合うことも含まれます。
たとえば、自分は野菜を作る。
近所の人は米を作る。
別の人は果物を作る。
また別の人は味噌作りが得意。
それぞれが少しずつ交換し、助け合う。
これも広い意味での自給自足です。
「個人の自給」だけでなく、「地域の自給」を考えることが大切です。
これからの時代、最も強いのは、孤立した個人ではありません。
つながりのある地域です。
災害時にも、食糧危機の時にも、物価高の時にも、信頼できる人間関係は大きな支えになります。
誰が何を作っているか。
どこで買えるか。
困った時に相談できるか。
余ったものを分け合えるか。
情報を共有できるか。
こうしたつながりがある地域は強いです。
自給自足は、社会から逃げることではありません。
むしろ、顔の見える関係を取り戻すことです。
スーパーやネット通販だけでは見えない、地域の生産者、職人、近所の人とのつながり。それが暮らしの安全網になります。
人生の保険とは、お金だけではありません。
人とのつながりも、大切な保険なのです。
自給自足は精神的な保険である
人は、自分の手で何かを生み出せる時、強くなります。
種をまく。
芽が出る。
水をやる。
草を取る。
支柱を立てる。
花が咲く。
実がなる。
収穫する。
食べる。
この一連の経験は、人間に深い安心感を与えます。
なぜなら、自分が世界の中でただ消費するだけの存在ではなく、命の循環に参加している存在だと感じられるからです。
現代社会では、多くの人が「買う人」「働いてお金を得る人」「サービスを受ける人」として生きています。もちろんそれは必要なことです。しかし、それだけではどこか心が乾いてしまうことがあります。
自分の手で食べ物を作るという行為は、人間の根本に触れます。
土に触れると、頭の中の不安が少し静まります。
植物の成長を見ると、時間の流れが変わります。
収穫したものを食べると、命をいただいている実感が湧きます。
これは単なる趣味以上のものです。
自給自足は、心を現実に戻してくれます。
ニュースやSNSを見ていると、世界は不安でいっぱいに見えます。戦争、経済不安、災害、物価高、将来不安。情報に触れすぎると、心は簡単に疲れてしまいます。
しかし、畑に出ると、目の前にあるのは土と草と作物です。
今日やることは、水をやること。草を取ること。実を収穫すること。
それはとても具体的で、現実的で、手触りがあります。
不安は抽象的です。
農作業は具体的です。
この具体性が、人の心を救います。
自給自足は、終末思想のように未来を怖がるためのものではありません。
今ここに足をつけて生きるためのものです。
「自分にもできることがある」
この感覚は、どんな時代にも人を支えます。
人生の保険として、何から始めるべきか
では、自給自足を人生の保険として始めるなら、何から取り組めばよいのでしょうか。
最初から大きな畑を借りる必要はありません。山を買う必要もありません。いきなり田舎に移住する必要もありません。
まずは、今の暮らしの中でできることから始めるのが現実的です。
第一に、食料備蓄です。
米、味噌、塩、醤油、乾麺、缶詰、乾物、豆、レトルト食品、水。こうした基本の食材を、少し多めに持つことです。特別な非常食だけでなく、普段から食べるものを多めに買い、使ったら補充する方法が続けやすいです。
第二に、小さな栽培です。
ベランダでも庭でも、まずは育てやすいものから始めます。ネギ、青じそ、バジル、ミニトマト、ニラ、ラディッシュ、小松菜などは比較的取り組みやすい作物です。
第三に、保存食です。
梅干し、漬物、干し野菜、冷凍保存、味噌作り、乾物の活用。すべてを一度にやる必要はありません。一つ覚えるだけで暮らしは強くなります。
第四に、調理力です。
米を炊く。味噌汁を作る。野菜を無駄なく使う。豆を煮る。乾物を戻す。芋を保存する。こうした基本的な調理力は、食糧危機にも物価高にも強い力になります。
第五に、地域とのつながりです。
直売所に行く。地元の農家から買う。市民農園に参加する。近所の人と作物を交換する。地域の食を知る。
この五つを少しずつ進めるだけでも、暮らしの安心感は大きく変わります。
自給自足は、急に完成させるものではありません。
少しずつ育てるものです。
まるで作物のように、暮らしの力も育てていくのです。
自給自足は、未来を恐れる生き方ではなく、未来を信じる生き方である
自給自足という言葉は、時に不安と結びつきます。
食糧危機が来る。
社会が壊れる。
経済が崩壊する。
だから備えなければならない。
もちろん、備えは大切です。危機を甘く見てはいけません。
しかし、自給自足の本質は、恐怖ではありません。
希望です。
なぜなら、自給自足は「自分にもできることがある」と教えてくれるからです。
世の中の大きな流れを、一人で変えることは難しいかもしれません。国際情勢も、為替も、燃料価格も、異常気象も、自分の思い通りにはなりません。
しかし、自分の暮らしを少し変えることはできます。
米を備える。
野菜を育てる。
保存食を作る。
農家から買う。
食べ物を無駄にしない。
家族と食について話す。
地域とつながる。
こうした小さな行動は、確実に自分の生活を強くします。
そして、その小さな行動が増えれば、地域も強くなります。地域が強くなれば、国全体の食の土台も強くなります。
自給自足は、終末に備えて閉じこもる思想ではありません。
未来に向かって、暮らしの根を張る思想です。
根を張った木は、風に強い。
根を張った暮らしも、時代の嵐に強い。
これからの時代、必要なのは、すべてを恐れて生きることではありません。
便利さを上手に使いながらも、依存しすぎないこと。
社会とつながりながらも、自分の足で立つこと。
買う力だけでなく、作る力、備える力、分け合う力を持つこと。
それが、自給自足を人生の保険として考えるということです。
自給自足は、貧しい暮らしに戻ることではありません。
不便を我慢することでもありません。
現代の便利さに、昔ながらの生活力を組み合わせることです。
スマートフォンも使う。
ネットも使う。
スーパーも使う。
しかし、米を備え、味噌を持ち、野菜を育て、保存食を作り、地域の農家とつながる。
このバランスが、これからの時代の強い暮らし方です。
食糧危機に備えるというと、暗い話に聞こえるかもしれません。
けれど本当は、暮らしを豊かにする話です。
自分で育てた野菜を食べる喜び。
保存食が棚に並ぶ安心感。
米びつに米がある心強さ。
地域の農家と顔の見える関係を持つ温かさ。
家族で食卓を囲むありがたさ。
これらは、お金だけでは買えない豊かさです。
自給自足は、終末思想ではありません。
人生の保険であり、暮らしの自由であり、心の安定であり、未来への希望です。
だからこそ、今日から小さく始めればいいのです。
一粒の種をまく。
一袋の米を備える。
一杯の味噌汁を作る。
一つの保存食を覚える。
一人の農家とつながる。
その小さな一歩が、これからの時代を生き抜く大きな力になります。


